休心日とは。
時々心がヒリヒリ痛む日がある。
今日は紛れもなくその日だった。
朝から顔も中身も下衆、不細工だと言われて心がヒリヒリしたところから今日は調子が悪かった。
過去の悲しかったことが硝子破片になり、常々心に刺さる。
この何年間か褒められたことがあまりない。
貶されてばっかりだった。
彼氏ができれば、その内捨てられる。お前のどこがいいの。
好きな服は、似合わない。ダサい。
愚痴をこぼせば、お前が悪い。
友達の話をすれば、〜は可愛いからね。
全ては親切心からくる言葉らしい。
1番辛かったのは、私が生まれて数時間しかたってない時に産まなきゃ良かった。と思った、という告白。
ありがたいことに生まれた時の本音まで教えてくれたのだ。
今更、愛されたいとはいわない。
けど、満たされたい。もうここまできたら誰でもいい。
ぎゅっと抱き締めてほしい。
美しさとは。
私は人一倍承認欲求が強い。
なにかしら褒められたい認められたいのだ。
なかでも1番褒められたいのは容姿だった。
小学校の時から一人だけ身長が高かったが、高いだけで顔は化粧などするわけもなく常に悪目立ちしていると思って憂鬱だった。
離れ気味の奥二重で小さい目、丸い鼻、前歯が大きい歯
考えれば考えるほど、コンプレックスが増えていった。
折角産んでくれた両親にも子供ながら容姿に負い目を感じることに申し訳なさを感じていた。
それからというものの我武者羅に美しさについて自分なりに追求している。
先日初めて美容外科にいった。
今は話を聞いた段階だが、近いうちにやると思う。
探究心の限界は人それぞれだが、それに伴う変化を恐れずに自分の人生を謳歌していきたい。
人生とは。
最近色々と今後を考えてしまう。
私は凄く生きるのが不器用だ。
上から言われた言葉は絶対と育てられてきたため、自己決断を求められる年になってから凄く困ってきている。
思えば昔からものを頼むのが苦手だった。
あれが食べたい、これが食べたい。が言えなかった。
否定されるのが怖かった。
大体下の子が食べたいと言ったものが優先されていたのもある。
お姉ちゃんでしょ。女の子でしょ。
言われる度にこの言葉が嫌いになっていった。
今でも嫌いである。
下唇を噛んで胸の奥でぎゅっとなるのを黙って感じていた。
自分を表現することができる服もメイクも親から褒めてもらったことがない。
大体は似合わない。とか太ったね。ブスだね。のみで結局、親がすすめた服やメイクに合わせた。
親がいい、といったものじゃないとそわそわして落ち着かないようになった。
自分が悪くないことでも○○ちゃんは可愛いし、頭もいいから仕方がない。と言われたこともあった。
その時、わたしは不器用で不細工な自分を呪った。
私には個性がない。
個性が死んでいる。
自信もない。
突然だが、私は睡眠が好きである。
現実に蓋ができるから。
また今日も幸せなうちに一生を遂げたい、と思いながら目を瞑るのである。
可愛いとは。
私はよく小さなことでも自分の中で可愛いと思ったものだったら可愛いと口にしてしまう。
言ってしまうというのはよく言われる言葉の存在のせいである。
『どうせ可愛いと言ってる自分が可愛いんでしょ?』
一体どういった思考でその考えに辿り着いたのか。
私にとって《可愛い》は+の言葉だと思っているのでどんどん口に出していくべきだと思って発言している。
そして可愛いにはいろんな種類がある。
そこに僅かな誤解を生むのかもしれない。
決して 可愛い=なりたい というわけではない。
そういったことを含めて、私はコミュニケーションというものは難しいものであり苦手である。